古森義久

古森義久

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「アベが慰安婦の『強制徴用』を否定するのは、日本軍を合憲の軍隊として復活させるために旧日本軍の記録をごまかす企図なのだ」――

 こんな趣旨の「解説」にはさすがに驚いた。

 アメリカ議会の下院にマイク・ホンダ議員(民主党・カリフォルニア州選出)がいわゆる慰安婦問題で日本を糾弾し、謝罪を求める決議案を出してから、この問題で日本、とくに安倍晋三首相や安倍政権を叩く主張がアメリカのマスコミや学界に多数、出てきた。

古森義久氏

 それらの非難は安倍首相らの「日本軍による組織的、政策的なアジア各国女性の慰安婦への強制徴用はなかった」という趣旨の言明に対し、一見、事実関係を争う形をとりながらも、決して事実の検証には踏みこまない。

 最初は「日本軍による組織的な強制だ」と断じながらも、日本側から反論が出ると、「強制徴用の有無にかかわらず、軍の関与は明らかなのに、そんな事実を否定するとは過去の悪事を反省せず、道義に反する」と、道義論へと形を変えてしまう。

 その背後には自分たちを数段、高い道義のハシゴの上において、道義や倫理を知らない野卑な日本の首相や政治家、さらには国民たちに教示や叱責を下すという傲慢な態度がちらつく。

 そんな日本糾弾の議論のなかでも「日本軍復活のための企図」というこの解釈には、びっくりした。

 だがこの「陰謀説」のなかには今回の慰安婦問題で、日本を糾弾するアメリカ側のいわゆる識者たちの一部の本音がにじんでいるとも感じた。

安倍は「裸の王様」

 この「解説」を発表したのはエール大学のアレクシス・ダデン准教授だった。日本や朝鮮半島の歴史研究が専門だというダデン氏は知る人ぞ知る、アメリカでの規準でも超左翼リベラル過激派の女性活動家。二〇〇〇年に東京で開かれた慰安婦問題で日本を裁く例の模擬裁判「女性国際戦犯法廷」にも参加して、枢要な役割を演じ、昭和天皇らへの有罪判決を下す一翼を担った。

 なにしろ日本研究で最初にまとめた論文が「日本の謝罪テクニック」という題である。戦後の日本が過去の戦争行動などを謝罪してきたのは、みなテクニックに過ぎないという前提なのだ。

 そのダデン氏がエール大学のインターネット論壇に三月末に発表したのが「安倍首相の新しい服」という題の論文だった。タイトルからして明らかにアンデルセンの童話「裸の王様」をもじった侮蔑的な表現である。そのなかでダデン氏は次のように述べる。

「焦点は強制に関する事実ではなく、アベが『強制』の意味を切り替えたことと、この言葉を論じることの忌避を最近、決めたことの理由である」

 そしてこの後に冒頭で紹介した「日本軍の記録をごまかす企図」という文章が入る。そのうえでさらにこう続く。

「一九四七年の憲法を変えて日本の軍隊が活動できるようにするというアベの決意はワシントンの公然たる奨励を得ており、そのことが慰安婦強制での軍隊の歴史的役割に関する彼の尊大な言明の要因ともなったことは疑いない」

 つまり安倍首相が日本軍による慰安婦強制徴用の事実はないと述べるのは、憲法改正や日本軍復活が原因であり、理由だというのだ。しかもそうした動きはアメリカ政府の奨励を得ていることがけしからん、と批判している。

 しかしこの解釈には根拠はない。現実には安倍首相が決議案提出に絡み、慰安婦の強制徴用に関する発言をしたのは、アメリカ議会に出された慰安婦決議案で謝罪を求められたことに対し記者団からコメントを迫られ、それに答えただけだった。

 安倍首相が改憲を意図していることは公然の事実だが、そのために慰安婦に関する発言をしたという証拠はどこにもない。そんなことは日本では安倍非難を続ける勢力でさえ、簡単に認めるだろう。そもそも時系列的にみても、ダデン氏の主張には根拠はないのだ。

 むしろダデン氏は自分が憲法改正や軍隊復活に反対するからこそ慰安婦問題での安倍首相の発言を攻撃している、と述べたほうが正確だろう。安倍首相の政策や思想への反対がまずありき、なのである。

 要するにダデン氏らアメリカの左翼は安倍首相が体現する日本の「普通の国」化が嫌いなのである。同時にその日本の「普通の国」への政策に賛同するブッシュ政権をも非難しているのだ。

一切の関与を否定?

 いわゆる慰安婦問題に関して、いま日本を糾弾するアメリカ側の主張はおおざっぱにみて、二つに分けられる。

 第一は前述のアレクシス・ダデン氏のように、そもそも日本のいまの動き、とくに安倍政権の新政策を嫌い、その反対の武器として慰安婦問題を利用するという部類である。今回の慰安婦問題では、まさにその「安倍叩き」をもっとも激しく、執拗に展開しているニューヨーク・タイムズの論調もこの部類の典型だといえる。

 第二は、これまたすでに述べたように、事実と道義のどちらを論じているのか曖昧なまま、とにかく日本の首相や国民の態度がけしからんとする叱責の部類である。 

 ではまず第一のタイプから点検しよう。

 今回の慰安婦決議案への米側の反応の最大特徴は、非難が慰安婦問題そのものよりも、安倍首相の言明にむかってぶつけられた点だろう。

 一月末にホンダ議員によって決議案が下院に提出されても、マスコミも、識者も、だれもなにも発言しなかった。二月十五日の下院外交委員会の小委員会が開いた公聴会で元慰安婦だという女性らが証言しても、なおマスコミ報道は全国レベルでは皆無に近かった。新聞ならば、ホンダ議員の地元のサンノゼ・マーキュリー・ニューズ紙が簡単に報じた程度。学者や評論家のコメントはまったく出なかった。アメリカ側がこの慰安婦問題自体に真剣な関心を抱いたという形跡はどこにもなかったのである。

 それが一変したのは、三月一日に安倍首相が日本人記者団の質問に答えたコメントがニューヨーク・タイムズなどによって報道されてからだった。

 首相は官邸でまず河野談話について「強制性を証明する証言や裏づけるものはなかった。だからその定義については大きく変わったということを前提に考えなければならない」と述べた。「強制性」とは明らかに日本軍が組織として女性たちを強制徴用することを指しての言葉だった。

 ところがニューヨーク・タイムズは安倍叩きで知られるノリミツ・オオニシ東京支局長の記事で安倍発言を「安倍首相が性的奴隷への日本軍の役割を否定」という趣旨で報じた。つまり首相が慰安婦への日本軍のかかわり一切を否定したかのように報道したのだ。

連続レイプであり……

 日本軍が慰安婦や慰安所に「関与」していたことは明白である。日本側のだれもそれを否定はしていない。安倍首相らは日本軍の組織としての徴用での「強制性」を否定しただけだったのだ。だが首相が軍の関与までを否定したとなれば、アメリカ議員でなくても反発し、憤慨するだろう。

 だからこの報道はアメリカ議会で慰安婦決議案に反対だった議員までを賛成に転じさせる効果を発揮した。こうしたゆがめ報道の背後には明らかに安倍首相の政策や思想への反発が浮かびあがっていた。

 ニューヨーク・タイムズは三月六日付の社説で安倍攻撃をエスカレートさせた。「慰安婦ではない」と題する同社説は以下のような書き出しだった。

「日本の安倍晋三首相は『日本軍の性的奴隷』のどこを理解できず、謝罪ができないというのか。基礎となる事実はもう長い間、まじめな論議の対象となることをとっくに終えている。第二次大戦中、日本軍は朝鮮半島のような日本の植民地から連行されてきた女性たちが日本兵たちに性のサービスを供することを求められる施設を設置した。それらは売春宿ではない。有形無形の暴力が女性の徴用には使われた。施設で実行されたのは連続レイプであり、売春ではなかった」

 この社説は、安倍首相の言明がその真実をゆがめ、日本に不名誉をもたらす、と非難していた。社説は次のようにも安倍首相を批判した。

「安倍首相は日本の傷ついた国際的評判を修復することよりも、恥ずべき慰安婦問題を健全な民間の商業活動だと主張する自民党内の強大な右翼派閥に迎合することに気を使っているようだ」

 こうしたニューヨーク・タイムズの一連の社説や報道は、日本が慰安婦問題について長年、「虚偽」を続け、「責任も非も認めず」、「完全な謝罪もしていない」として、それらのすべてを安倍首相のせいだと総括していた。

 これらの点をみただけでも、その姿勢はよくいえば安倍首相に極端に厳しく、悪くいえば、偏向といえるほど主観的である。

 

安倍嫌いのNYタイムズ

 その偏向ぶりは、これまでのニューヨーク・タイムズの安倍首相やその政策への論評をみればわかる。

「官房長官となった安倍晋三氏は北朝鮮と中国へのタカ派的なスタンスで日本でもっとも人気のある政治家となり、ブッシュ政権のお気に入りともなったが、アジアの近隣諸国の強い不信を招いた」(二〇〇五年十一月一日付、オオニシ記者の記事)

「日本はなぜ一党に統治されることに満足なのか。日本の民主主義は一九五五年につくられた幻想であり、五十年の一党支配が民主主義の成長を止めてしまった」(同年九月七日付、オオニシ記者の記事)

 ニューヨーク・タイムズは安倍首相が推進する日本の戦後の無抵抗平和主義からの脱却、つまり「普通の国」への前進に強く反対なのである。とくにブッシュ政権が安倍政権のそうした前進を奨励していることに猛反対する。ブッシュ叩きが安倍叩きと重なりあっているのだ。

 そうした素地があるところに安倍首相の慰安婦に関する日本の軍の強制徴用否定の発言が出たから、待ってました、と飛びついた、ということだろう。

 しかもその過程では安倍首相の「軍による強制性否定」を「軍による関与否定」にまで広げ、その区分をあえて曖昧にして、安倍叩きキャンペーンへと拡大していったのだ。

 日本が「普通の国」になることがなにより嫌いなニューヨーク・タイムズは安倍首相の憲法改正や軍事力整備への動きを「危険なタカ派的軍国主義」と特徴づけ、慰安婦問題での安倍氏の態度もその枠内に押し込めようとしている。

 こうした姿勢は前述のアレクシス・ダデン氏の主張とも共通している。その種の政治的立場にとっては今回の慰安婦問題も安倍叩きのかっこうの材料になるのだといえよう。

 ニューヨーク・タイムズはさらにダメ押しの形で三月八日付一面に「安倍首相の否定が第二次大戦中の日本軍の性的奴隷たちの傷口を再び開ける」という見出しの大きな記事を掲載した。これまたオオニシ記者によるこの記事は「安倍首相の発言に憤激した犠牲者たちは虐待を改めて告げる」という副見出しをつけ、記事には以下の記述があった。

「安倍首相は女性たちの性の奉仕への強制で軍の役割を否定した。この結果、長い間、くすぶってきた日本の戦時中の性的奴隷の問題は新たな重要性を帯びることとなった」

「日本の戦争の過去を軽視してみせることで政治的な実績を築いていたナショナリストの安倍氏は、このコメントでアメリカ議会下院に出ている慰安婦決議案に勢いを与える結果を招いた」

 とにかく安倍氏が悪いというのである。しかしその安倍発言については「軍の役割の否定」と評する。安倍氏がさんざん説明している「軍の強制徴用」と「軍の関与」の区別にはまったく触れず、あえて不明確にしている。安倍首相がまるで慰安婦のすべてを否定しているかのような筆致なのである。

 だからこそダデン氏の妄想ふうで強引な論評にも似た、安倍叩きのための慰安婦問題利用という印象がますます強くなるわけだ。そこで描かれる日本の首相のイメージは「過去の悪の全面否定」、つまり「日本軍の関与さえも否定する非道な歴史修正主義者」となってくる。

 まさにこのイメージこそがアメリカの他のマスコミや識者たちの関心をあおったといえよう。だからアメリカでの日本糾弾の火をつけ、炎をあおったのはあくまで慰安婦問題自体ではなく、慰安婦決議案でもなく、ゆがめられ、誇張された安倍発言報道であり、その発言を激しく糾弾する安倍叩きだったのだといえる。

 そしてその背景には安倍政権との間で安全保障のきずなを強め、日本が「普通の国」になることを奨励するブッシュ政権への非難が存在する。アメリカの主要マスコミは大多数が民主党リベラル系で、共和党保守のブッシュ政権には厳しい反対の姿勢をとることも、明らかにこの種の非難を大きくする要因となっていた。

検証なしのお説教

 その結果、アメリカの他のマスコミにもきわめてネガティブな評論や報道が載るようになった。ここらへんの時点からの日本糾弾は、前述の区分では第二のタイプに分類できるだろう。つまり事実関係を踏まえて日本の態度を論じているのか、単に道義や倫理の規範を語って日本を叱責しているのか、不明のままの高所からの批判である。

 ニューヨーク・タイムズ社が経営するリベラル系のボストン・グローブは〇七年三月八日付の社説で論評した。「『すみません』と言えない日本」というタイトルだった。冒頭の記述は以下のようだった。

「日本の安倍晋三首相は一九三七年から一九四五年までの間、日本軍が征服した各国で女性たちを性的奴隷へと強制徴用したことを否定し、この人道に対する犯罪への公式の謝罪を述べることを拒否することによって、なお生存している『慰安婦』たちの蒙った古傷に新たな侮辱を与えた。彼はさらにアジア諸国やアメリカの同盟相手たちの間に日本に対する憤慨や不信を復活させた」

 この社説は、安倍首相がこういう態度をとると、北朝鮮による日本国民の拉致の事件も解決が難しくなる、という点や、北朝鮮の核兵器開発問題の解決にまで悪影響が及ぶ、という点をも強調していた。そして最後の部分で次のように書いた。

「安倍は議会の決議案は客観的な事実に基づいていないと主張する。だが彼は十分に確立された歴史上の真実を認め、謝罪し、なお生存する犠牲者たちに公式の損害賠償をすべきである」

 この社説が使う「十分に確立された歴史上の真実」という表現は象徴的である。安倍首相が問題にするのは「日本軍による組織的な強制徴用」である。その検証にはまったく触れず、「確立された歴史上の真実」という意味がありそうで意味のない表現ですませているのだ。そしてただただ安倍首相や、首相を支える「自民党内の右翼」に対し道義の説教をする。

なんの根拠も示せず

 サンノゼ・マーキュリー・ニューズも三月七日付で「恥ずべき性的奴隷の否定は叱責を招く」と題する社説を掲載した。

「第二次大戦中、日本は二十万人にも及ぶ女性を奴隷化した。そのほとんどは朝鮮人であり、彼らはみな日本軍部隊の軍事的娼家で売春婦として働くことを強制された。これら犠牲者に対し、日本の閣僚の一人は一九九三年に曖昧な謝罪を表明し、数少ない生存者たちを助けるために民間の基金が設置された」

「しかし先週、日本の保守的な首相の安倍晋三はそのすべてを覆した。『強制を示す証拠はなにもない』と言明したのだ」

「歴史をごまかそうという安倍の無恥で非道徳な試みは日本にアジア近隣諸国からの敏速な糾弾を浴びさせた。ブッシュ政権はより慎重だが、それはおそらく自分たちの(イラク戦争などでの)戦争捕虜の疑わしい扱いのせいだろう」

「消息通は安倍が国内で低下してきた自分の人気をまた上げるために、アメリカに対し反抗してみせているのだ、ともみている。四月末にはアメリカを訪問する予定の安倍は下院の決議案が『客観的な事実に基づいていない』とも宣言した。だが事実の認識に支障があるのは日本側なのだ。アメリカ議会は歴史の講義を日本側に与えるべきだ」

 同盟国の首脳を「無恥で非道徳」と呼び、日本全体に「歴史の講義を与える」と宣する傲慢さは、まさに自分たちを特別の高所において道義や倫理の講釈をするという構図を明示している。

 しかしその大前提は明らかに「日本軍が組織的、政策的に二十万人もの女性を強制徴用し、セックスの奉仕を強いた事実を安倍首相がいまや全面否定している」という認識である。だが肝心の「日本軍の組織的な強制徴用」の主張は、日本側の否定に対し、反駁するなんの根拠も示していない。

 同種の日本批判や安倍非難はロスアンジェルス・タイムズ、ニューヨーク・ポスト、ニューズウィークなどにも掲載された。みな「日本軍による組織的な強制徴用」という前提は同じで、その事実を否定する安倍首相の言辞は人道にもとる、という趣旨だった。きわめて安易な説教で、「殺人は悪である」というようなものである。

 だがどの社説やコラムも出発点であるはずの「日本軍による組織的な強制徴用」を証することはもちろん、その断定の適否を論じる姿勢さえもツユほどもみせなかった。

 これら論評のなかには、安倍首相がこういう態度をとると、日本が直面する北朝鮮による日本人拉致事件の解決にも支障が出ると、脅しをかけるような主張も多かった。日米同盟にもヒビが入ると述べる論調もあった。

日本軍が二十万人を拉致?

 安倍首相の言明から三週間以上が過ぎた三月二十四日には、ワシントン・ポストが「安倍晋三の二重言語」と題する社説を載せた。副題は「安倍は北朝鮮の日本人(拉致)犠牲者に対しては情熱的だが、日本自身の戦争犯罪には盲目的だ」となっていた。

 タイトルの「ダブル・トーク」という表現は、言葉を相手次第、状況次第で使い分けることを意味する。なにかをごまかそうとする言葉づかいという意味でもある。日本の一部通信社はこれを「二枚舌」と誤訳していた。原語にはまるっきりのウソつきという意味はない。

 その社説には次のような記述があった。

「奇妙かつ不快なのは日本の第二次大戦中の数万の女性たちの拉致、レイプ、そして性的奴隷化への責任の受け入れを後退させる安倍のキャンペーンである。安倍氏はアメリカ議会の謝罪要求の決議案に対して三月中に二回も、日本軍が女性の拉致に参加したことを証する書類はないとする声明を出したのだ」

「日本軍の女性拉致への参加」という表現が使われている。「日本軍の組織的な強制徴用」からは一歩、下がった記述だといえよう。

 社説はその表現の論拠らしい唯一の記述として、以下のように書いていた。 

「歴史家たちは朝鮮、中国、フィリピン、その他のアジア諸国からの女性二十万人もが拘束され、日本軍がその拉致に参加した、と述べている」

「歴史家たちが述べている」というのはなんとも論拠の薄弱な記述である。しかも「日本軍の組織的な強制徴用」という非難は文字の上ではたくみに避けながらも、意味の上ではその非難を前提にすべての議論を展開しているのだ。

 さらにアメリカ側の論調は、ごく一部の日本軍将兵による強制徴用があれば、それがいかにも全体の強制徴用であるかのように扱う姿勢へも変わってきた。日本側はあくまで日本軍全体の組織としての強制徴用の有無を論じているのに、アメリカ側ではいつのまにか軍全体の方針ではない末端の強制徴用を拡大して問題にし、その例外的なケースを強調し、「安倍はこんな事実があるのに否定している」というふうに攻撃するようにもなった。

根拠は河野談話だけ

 ここで改めて確認しておくべきなのは、今回の慰安婦決議案は日本を糾弾する前提として、あくまで「日本軍の組織的、政策的な強制徴用」を事実と決めつけている点である。決議案は「日本帝国軍隊が若い女性を強制的に性的奴隷化した」と明記し、その女性の人数として二十万という数などを指摘しているのだ。

 決議案を審議する下院外交委員会のアジア太平洋小委員会の公聴会でもその「前提」は各証人や議員たちにより再三、繰り返された。

 二月十五日の同公聴会で議長役を務めたエニ・ファレオマバエンガ代議員(民主党・サモア選出)が冒頭で次のような発言をした。

「過去は過去であり、アメリカもまた人権侵害をしてきた、と批判する人たちもいる。そうかもしれない。だが米軍の歴史のどこをみても、軍の政策として若い女性たちを性的奴隷とか強制売春に強制徴用することを許容したことはない。そうした強制こそ、まさに日本軍がしたことなのだ。いかなる政府もそのことを矮小化するのは真実への冒涜となる」

 何度も繰り返すが、糾弾されるのはあくまで「日本軍の政策としての女性の強制徴用」なのである。

 元慰安婦たちを代弁する韓国系米人らの団体がアメリカ国内で日本政府を相手に起こした訴訟でも、日本側の行動をはっきりと「組織的(システマティック)な性的奴隷化」として非難していた。あくまで日本軍が政策として組織的に実施した行動だというわけだ。だから出発点も、終着点も、本来の議論の焦点は「日本軍による政策としての組織的な強制徴用」があったのか否かに、しぼられていたのだ。この点の疑問に対する安倍首相の答えも、日本政府の答えも、明確なノーだった。

 しかしアメリカ側では日本側からその基本点へのノーが返ってくると、では事実関係を徹底して検証しようという対応は決してとらない。ホンダ議員自身が日本のフジテレビのインタビューで「強制徴用の根拠はなにか」と問われて、「河野談話だ」と答えるだけに留まったことがその対応のあり方を集約している。

 そしてアメリカ側は事実関係の疑問はそのまま曖昧なままに残し、そもそも日本がそうした点を否定することがおかしい、という道義論で反撃する形をとってくるのだ。日本側があくまで事実関係の解明でこの議論に決着を図ろうとして、さっと体をかわされたまま、というのが現状なのである。 

 しかしいま安倍首相や日本政府を糾弾するアメリカ側の主張が事実や論理ではなく、彼らの側が一方的に枠組みを設定する不透明な道義や倫理という概念に沿って進められていることの証拠は、もう一つある。

 安倍首相への非難は、首相が河野談話を修正あるいは撤回しようとしたことに向けられた。そのせいか、首相自身も河野談話の継承を打ち出すようになった。だが、そもそもの下院決議案は、日本が河野談話を保持しても、その日本を許さないのだ。河野談話がそのまま有効であっても、新たに首相や政府の謝罪を求めるのである。

 アメリカのホンダ議員支持勢力は河野談話を修正しようとする日本を叩き、河野談話を継承する日本をも叩くのである。そこには明らかに一貫した論理が欠けている。そんな理不尽な攻撃に頭を下げ、服従することは日本の次世代の名誉にかけても、断固、避けねばならない。